最新記事


最新コメント


プロフィール

Mr.Moonlight

Author:Mr.Moonlight
同郷の浜田省吾、ジャクソン・ブラウン、スプリングスティーン、山下達郎を愛するアメリカン・ポップ・ロック・ファン。ラーメンとお好み焼がソウルフードの60年代生れの永遠のロック少年?です。


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


FC2カウンター

現在の閲覧者数:

ON THE ROAD 81'(本編)

on the road booklet
LIVE ALBUM"ON THE ROAD"CDブックレットのセンター写真。
広島か武道館かはわからない。

今回は本編としてコンサートの内容のついて記憶を追ってみることにする。
(出会い編)の末尾では会場でスーツ着て警備の準備をしていた。
そこから話を始めよう。
まず、上の写真だがキャプションにあるとおり、
どちらかはわからない。
もし広島だとすると私はこのもう少し下辺りで警備をしていた
のでオリジナル写真には写っていたかも知れない。
(場所を明記しないのはこういう妄想のためである。夢があるよねでも知りたい)

だいたい、会場警備でスーツと言うのが当時はあまりなかったはず。
それまでは仕込みではジーンズ+Tシャツで作業をして、
そのままの服装で会場警備もしていた。
(同じ年の中頃に甲斐バンドの会場アルバイトに参加したがスーツではなかった。)
このイージーさが歌謡曲や芸能コンサートとの違いだったのではないかと今は思う。
学生の延長というかもちろんお金を払って見に来て頂いているのでアマチュア的
ではいけないけれど、大学祭コンサートから人気を広げてきたアーティストはその後も
大学祭と同じスタッフと成長していった過程がおおくあった。
例えば浜さんがデヴュー当時所属していたあの堀プロでは
このような歌謡曲ではないアーティストを抱えるにあたって違うセクションを
つくって運営しなければならなかった事を考えると過渡期であったんだなと思う。

3日間のコンサートは基本的に同じセットリストであったので大きく印象が違う事は
無かったが、今思うと若干、浜さんのしゃべるトーンが違った日があったかも?
という程度だ。
私はまだ、見たことも無い浜田省吾のコンサートの警備の1人として浜さんの
斜め下くらい、そうステージ真下、最前列でオーディエンスの方を向いていた。
もちろん曲は2~3曲しか知らない頃。

場内が暗くなり、ステージにライトが当たると、1曲目の「壁に向かって」の
ドラムが鳴り響いた!。
しばらくして、アーシーなギターと共にホーンセクションが高揚し緊張した場内を
引き裂いてゆく。
私は警備をしていたのに、初めて見る、聴く浜省なのに、このイントロで
ノックアウトされてしまった。(今でもこの瞬間は映像として瞼にしっかり記憶されている。)
そして、今夜の主役、浜田省吾が登場して歌いだす。
ああなんと、ピュアで色気のあるロックヴォイス「こんなに惨めな暮らしの中でさえ、
愛想笑い怯えている~もう~やめようぜ」ときたもんだ。
何なんだ!す、すごい!ジャクソン・ブラウンだ、ブルース・スプリングスティーンだ~。
この時まだ、浜さんがこの2大ロッカーのファンだとは知らなかったのに、もう同じ時代を
駆け抜ける世紀のロッカーと同じ波長を出していたのだ。
このテンションはコンサートラストまで変わることなく持続して行った。
今夜は終わって欲しくないというような、とても愛おしいショウだった。

それまでの私のコンサート経験は全て洋楽ばかりで、地元や東京へ見に行ったりで
いろいろなフォーク・ロック・ソウルの旬のアーティストのコンサートに参加していた。
ジャクソン・ブラウン、スティーヴィー・ワンダー、ビーチ・ボーイズ、スティーヴ・フォーバート、
アル・ステュワート、エリック・クラプトン、アトランタリズムセクション、チープ・トリック、ハート、
コモドアーズ、マンハッタンズ、レインボーと全て現役バリバリの頃で70年代後半~80年
代初めの頃だ。
中でも日本で本格的な野外の走りと言われた江ノ島ジャパン・ジャムで
現役ビーチ・ボーイズを観れたことは貴重なことである。

これらをあの時代に生で観れたことは本当に貴重な事だと今になって思う。
よくレッド・ゼッペリンを生で観た話が自慢されるがそれにはかなわないけど、
いい勝負と思いたい。
ちなみに浜さんは予備校時代ゼッペリンを広島県立体育館に観にいっている。
2005年のグリーンアリーナのセンターステージでその事を浜さんしゃべっていた。
「ちょうどこのあたりに建っていた体育館で観た」って言ってたけど今歌っている
グリーンアリーナと同じ場所だと思ったんだけど・・。
建っている場所は厳密には少し違うのだろうか?

話を1981年に戻そう。
そして私はコンサート中のおしゃべり(M.C)の内容に感激した。
それは音楽についての話であった。大まかに書くとこんな内容だった。
この時の浜さんのバンドにはバンド名がついていた。
それはFuseと言う名前で由来はジャクソン・ブラウンの曲からつけられた。
浜さんはこのバンドと何年も何年も一緒にやっていきたいと言い、例えばと前置きして
ボブ・ディラン&ザ・バンドの様に、ブルース・スプリングスティーン&ザ・Eストリート・バンド
の様にジャクソン・ブラウン&ザ・セクションの様にボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・
バンドの様にと言ってくれた。「俺、浜省と同じ趣味だ!」と思った事が、最初だった。
でも会場はシーンとしてて、その後うけを狙って、ハナ肇とクレイジー・キャッツの様に
といい、笑いをとっていた。

私は18歳だったがあげた名前が、全て大好きなアーティストの名前だったので
こんなに趣味が同じなのがとても嬉しかった。
それに初めて聴く曲ばかりだがどれも洋楽っぽくていい。」
そして、なによりファンの方みんなの共通だろうけど、たたずまいや雰囲気が
とても素敵な人である。
あと、怒られそうだけど「広島市民じゃのう」という感じが初めて見た時からするのである。
なので、個人的に親近感を覚えてしまった。

正直、あれから28年間、ほぼ9割がた、コンサートに参加してきたので、最初の時の記憶も、
ここまで書いてきた以上にはあまり思い出せない。
とにかく、衝撃を受けて大ファンになった事は間違いない。
きっかけがこのLIVE ALBUM録音コンサート、しかも3日だけだけどスタッフ
として参加出来たことは本当によかった。

多分私だけが知る、この事実をお教えして"ON THE ROAD 81'"をひとまず終了する。
コンサートが終わるとまた普段着に着替えて、ステージにあがり撤去作業をする。
その時に浜さんのモニターのところに曲目リストがはってあり、「ラストダンス」は
(  )がしてあった。

そう、前に書いたように3日通して歌っていないはず。なぜシングルのB面だけに収録したのか
は疑問だが、(  )と言う事はアンコールが続いたら歌う予備の曲だったのか?。
なぜ、そう思うかと言うと、ファンなら判るのだが「ラストダンス」を歌わなかったとしても、
その前のアンコールは「ミッドナイト・ブルートレイン」だったから。
今では、この2曲のどちらかがアンコールのラストで会場と合唱になるのであるから、
想像したら可笑しいがもしこの2曲両方を続けてやったら、第九のように会場合唱
だらけになってしまうだろう。

残念なのはこの曲目コピーを持って帰っていれば今は貴重な資料になったのにと思う。
A4コピー1枚に20曲くらい書かれているので曲目は略式で書かれていてこれがけっこう
渋いなと思った。
最近ではネットになってコンサートが終了すると即座にセットリストとして曲目がオープン
になるけど昔はほんとにコンサートにいって聴くまでわからなかったものだ。

結構長い事書いてきたが実はこのタイトルは少しタネがある。
浜さんがツアータイトルに"ON THE ROAD"とつけるのはこの時のLIVE ALBUMが
1982年2月にリリースされて以降の事で、それは今日まで続いているメインタイトルだ。
なので"ON THE ROAD 81'"はありえない事になる。
それは正に私が体験した3日間、1981年12月26日-28日の3日間、
"ON THE ROAD "のアルバムが作られた3日間のみ"ON THE ROAD 81'"と
言えるんじゃないかと思って、今回このタイトルをつけてみたのである。

1年に4回も広島に帰ってきてコンサートをしてくれた頃がとても愛おしい。
コンサートへ行けばもう次のコンサートの予告チラシが配られているといった感じだった。

今やアリーナでのコンサートが中心となり、アルバムを出さないとツアーをしなくなり
最近はホールだと8年振りだとか気の遠くなるような時間が空くけれども、
それでも30年以上第一線で活動してくれている事に感謝したい。

毎日、仕事の行き来で浜さんが通った予備校や住んでいた家の前を通るのだが、
本当にここにいたんだなぁ・・とノスタルジックでストレンジな気持ちになり
少々複雑なのである。

”予備校の湿っぽい廊下で~あの娘を見つけた~放課後の図書館のロビーで思いきって
声をかけた~”と”19のままさ”の舞台周辺で毎日仕事しているなんてすごく
不思議である。

この予備校の前なんて日に3回は通るもんなあ・・。
















スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する


トラックバック

http://everock.blog84.fc2.com/tb.php/21-d38c3750

 | ホーム |