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Mr.Moonlight

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同郷の浜田省吾、ジャクソン・ブラウン、スプリングスティーン、山下達郎を愛するアメリカン・ポップ・ロック・ファン。ラーメンとお好み焼がソウルフードの60年代生れの永遠のロック少年?です。


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ON THE ROAD 81’(仕込み編)

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過去2回取り壊しの危機を乗り越え、あっぱれな広島郵便貯金会館(現ALSOKホール)
このPHでは右端の奥辺りが搬入口

1981年12月26日の朝、3日間に渡る初のLIVE RECORDを収録するための
搬入が始まった。
今となっては、この搬入や仕込みなんてギョーカイ用語も懐かしい。
私が所属していた放送部は普通の放送部とは違っていて、簡単に言うと
コンサートのP.Aを主体とした活動を行っていた。ボランティアで女子大大学祭!!
や施設の催しなどの音響を善意!で受けたりしていた。

そんな活動であれば当然、コンサートの搬入、搬出は一流の人達、
最前線であるからとても勉強になるわけだ。人数も30人位アルバイトが来てた様に
思うが放送部のほか、フォーク部の連中や音響に別に興味ない人も多く、
そんな若造を相手に淡々とステージを完成させていく様は流石、プロフェッショナルな
世界で食っている人は全然違うと思った。(まずこの世界は自分は無理だと確信した。
この時一緒にいた連中のなかで今でも音響の仕事に3人位は残っているが。
意外とそうでもない奴が残り、憧れていた者は違う道であるものなのかも)

その搬入で一番印象に残っている事と言えば、やはりコレにだろう。
なんと、アルバムON THE ROAD 録音のための録音機を私が楽屋裏まで運んだ事だ。
テープはぶっといオープンリールで電話帳位の厚みがあったと思う。
その時のテープと運んでいる自分を今でも客観視出来るもんね。
ローディーの人が「これで録音するんで気をつけてね~よろしく~」という感じだったなあ。
「もしこれ、倒したりしたらどうなるんじゃ~」と思いながら1人で暗いステージ裏を通って
楽屋裏へ運んだのをよ~く憶えている。

楽器や大道具の搬入~セッティングがほぼ終わると、バイト衆はホールから
一旦出される。
ロビーに集まり、開場までの準備をする。たとえばチラシのはさみ込みや
売り場作りの手伝いなど、それも終われば少しの間、休憩が出来るわけだ。
搬入は朝早いので眠くなったりもする。

ロビーの椅子にちょっと足を伸ばし気味に休んでいたら、イヴェンターの人が
走ってきてこう言った。
「おい、おまいら、しゃんとしとけ!今からここを浜田さんが通る!」
楽屋入りの時間だったようだ。それにしてもロビーを通るのかな?
と思い面接受けるみたいに握り拳を膝に置いて姿勢よく座って、通り過ぎるのを待った。

これも昨日の事にように瞼に焼きついているのだが、すらりとした美男美女がおしゃべり
しながら楽屋口へ歩いて行った。
確か上は白かナチュラル色のジャケット着て、下が白か黒かスラックスか
レザーかは憶えていない。
一瞬だったからね、通り過ぎるだけだから。でもサングラスをかけた
浜さんはかっこよかったな。
まだ20代だもんな!若いし上り調子のロックシンガーなんて1981年において
これ以上かっこいいものなんてないだろ!。
今もそれは変わらないけど、当時、過去に前例が無いタイプのアーティストだからね。

コンサートは3日間あるので初日の搬出はなし。公演が終わればバイトも早く帰れる。
そして翌日も搬入はないのでゆったり目で集合なわけだ
基本的に3日間のコンサート内容はほぼ同じなので3本を相対的に
憶えていることを話してみたい。
1981年はすでに120本ものステージをこなして来ていた。
残り3本がLIVE録音となったのである。

と言うわけで長くなってますがお話は続きます。












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